同じような着地点を前にして、片方は席を立ち、片方は「その水準を目指したい」と言った。
転職の給与交渉でも、家の値引きでも、似たようなことは起きるでしょう。
条件だけ見れば悪くない。それでも答えが違う。違っているのは、条件だけじゃないの。
断ったあとに、何が残るか。そして、何を失うわけにはいかないのか。
この週末、北米でそれが起きたわ。
まず、カナダで何が起きたの
8月21日の金曜、深夜の期限直前に、米国とカナダの通商交渉が決裂したの。
そして翌22日午前0時過ぎ、米国が50%の関税を発動したわ。対象は約200億ドル相当で、カナダの年間対米輸出のおよそ5%にあたる。
品目を見ると、生活の風景が見えてくるの。
ホッケースティック、建材、酒類、衣類、セメント、家具、乳製品、釣り竿。医療用の舌圧子まで入っているわ。
カナダはこれに対し、9月8日から報復関税をかけると表明したの。対象には鉄鋼、乳製品、家電、農業機械、パルプ・紙、電子機器などが含まれる。
カーニー首相の言葉が、なかなか強烈だったわ。
「彼らは多くを求めすぎ、差し出すものが少なすぎた」
そして新しい米国の関税についても、カナダを傷つけ、分断するために設計されたものであり、「誤算だ」と批判したの。
でもね、合意はかなり近かったのよ
ここが今日いちばん大事なところ。
報道によれば、交渉のテーブルにはかなり具体的な数字が乗っていたの。
鉄鋼・アルミの関税を50%から25%へ。
自動車を25%から15%へ。
カナダ側も差し出すものを用意していたわ。
これまで実施してきた報復関税の撤廃。そして各州に対して、米国産の酒類を店頭に戻すよう促すこと。
つまり、着地点は見え始めていたのよ。ところが土壇場で、米国側が条件を変更した。
カーニー首相はそれを「非経済的で不公正」だと述べて、交渉団をオタワに呼び戻したわ。
さらに重要なのが、彼のこの言葉。
「いかなる合意であれ、その信頼性に疑問を投げかけるものだった」
つまりカナダが拒絶したのは、単純に「25%じゃ高すぎる!」という話しだけじゃないのよ。
この条件変更を受け入れたあと、次の交渉はどうなるのか。
そこまで見ていたということね。
同じ週、メキシコはこう言っていたの
さて、ここからが本題よ。
メキシコの通商交渉を担うエブラルド経済相は、こう述べていたの。
「すべてが完全に同じではないが、同様の結果を達成できると思う」
何と「同様」なのか。
それは、カナダとの交渉で合意寸前まで進んでいた修正案に近い待遇なの。
つまりメキシコが求めているのは、カナダが最後に拒絶したパッケージそのものではない。
カナダとの交渉で一度見えていた、関税を引き下げる着地点に近いものなのよ。
ここ、大事。
カナダも最初からその水準を拒絶していたわけじゃない。
米国が土壇場で条件を変えたことで、席を立ったの。
一方メキシコは、その変更前に見えていた着地点に近いものを、自国にも適用してほしいと考えている。
似たようなゴールを見ていたのに、交渉への姿勢は分かれた。
なぜなのかしら。
カナダが守ろうとしているもの
数字を見ると、この2国の近さがよく分かるのよ。
毎日およそ33万人が米加国境を行き来している。
約80万人のカナダ人が米国に住んでいる。
アフガニスタンでは、カナダ兵が米兵と共に戦った。
それだけ深い関係がありながら、いま50%の関税がかかっている。
しかも今回の交渉では、単なる貿易条件だけでなく、カナダの主権に関わる問題まで意識されていたの。
国内の空気も硬いわ。
オンタリオ州首相は「関税には関税を、ドルにはドルを」という姿勢を示し、カーニー首相を支持している。
つまりカナダにとって今回の交渉は、「何%なら採算が合うか」だけの話しではなくなっている。
ここで土壇場の条件変更まで飲めば、次の交渉でも同じことが起きるかもしれない。
短期的には痛くても、譲れない線を引く。そういう政治的判断が入り込んでいるのよ。
メキシコが欲しいものは、もっと実務的
一方でメキシコには、はっきりした実利があるわ。
現在、日本などから米国へ輸入される自動車には15%程度の関税が適用されている一方、メキシコから輸出される対象車には25%がかかる。
同じ米国市場で売っているのに、条件が不利なのよね。
そりゃ、「ちょっと待って。うちも15%チームに入れてくれない?」となるわ。
メキシコが出している提案も具体的よ。
北米の外から来た部分を中心に関税をかけて、北米で作られた部品についてはより広く無税扱いにする。
そうすることで、現在25%の対象車について、実効的な関税負担を5〜10%程度まで下げることを狙っているの。
しかも9月にはワシントンで第4回の交渉が控えている。
まだテーブルが生きているのよ。
つまり、こういうことなの
交渉って、条件の良し悪しだけでは決まらないのよ。
相手が何を失えないか。
そこを見る必要があるの。
カナダにとっては、目の前の関税率だけではなく、主権や次の交渉での立場まで問題になっている。
メキシコにとっては、現在の25%という不利な条件を改善することに、かなり明確な経済的メリットがある。
だから、「同じ条件なのに、カナダはNO、メキシコはYES」という単純な話しではない。
むしろ、似たような着地点を目指していたのに、それぞれが守ろうとしているものの違いによって、交渉への姿勢が分かれた。
というほうが近いのよ。
そして、断ることそのものに価値がある場面もある
カーニー首相の発言をもう一度見てほしいの。
彼は関税の数字だけを問題にしていないわ。
土壇場の条件変更が、「いかなる合意の信頼性にも疑問を投げかける」と言っている。
つまり彼が守ろうとしたのは、今回の税率だけではなくて、次の交渉の前提でもあるのよ。土壇場で条件を変えられても飲む相手だと思われたら、次もそうされるでしょう。
短期の損を受け入れて、長期の立場を守る。
そういう判断もあるということね。
先日書いた記事と、地続きなのよ
19日に、AI主権の記事を書いたのを覚えているかしら。「同盟国だから大丈夫」という前提が崩れた、という話だったわ。
米国の輸出規制によって、同盟国であっても重要なソフトウェアやAI技術へのアクセスを制限され得る。
カナダは、その構造を貿易で見せているのよ。
毎日33万人が行き来して、80万人が住んでいて、戦争まで共に戦った国。
それでも50%の関税がかかる。
あのとき書いた言葉が、そのまま当てはまるわ。
平時には何も起きない。
いざという時に、動かせなくなる。
技術でも、貿易でも、構造は同じだったということね。
あたしたちの生活には、どう影響するの?
「北米の話しでしょ」で終わらせるにはもったいないから、押さえておきたいことは3つ。
① 日本車の15%が、交渉材料になっている
いま日本から米国へ輸出される自動車は15%程度。
一方、メキシコから輸出される対象車には25%がかかっている。
この差そのものが、メキシコの交渉材料になっているのよ。
もしメキシコ案が通れば、現在25%の対象車について、実効的な関税負担が5〜10%程度まで下がる可能性がある。
そうなれば、現在の日本車の相対的な優位は縮む。
つまりこれ、日本の自動車産業にとって他人事ではない交渉なのよ。
② 北米で生産している日本企業には、直撃する
日本の自動車メーカーの多くは、メキシコやカナダに工場を持っているでしょう。
だから今回の話しは「日本車 対 北米車」という単純な構図じゃないの。
日本企業がメキシコで作った車だって、条件次第では関税の影響を受ける。
供給網の話って、国旗できれいに分けられないのよね。
会社のロゴは日本でも、工場はメキシコ。部品はカナダ。客はアメリカ。
もう国籍で整理しようとした時点で、Excelが泣くわ。
③ 交渉を見るときは、条件より立場を見る
これ、記事の外でも使える視点だと思うの。
給与交渉でも、取引先との条件交渉でも、家賃の更新でも同じよ。
相手が提示してきた条件を評価する前に、自分が断れる立場にあるかどうか。
そこを確認しておく。
断れる余裕がないまま交渉のテーブルにつくと、条件を検討しているつもりで、実は受け入れる練習をしているだけになりかねないのよ。
そして、その余裕は交渉の場では作れない。
事前に作っておくものなの。
交渉力は、テーブルの外にある
ここで、ひとつ面白いことがあるのよ。
交渉力って、交渉が上手いことだと思いがちでしょう。
違うのよね。
一番強い交渉カードは、英語力でも、プレゼン力でも、眉間にシワを寄せて腕を組む技術でもない。
「じゃあ、やめます」が本当に言えること。
家を買うなら、他にも候補がある。
転職なら、今の会社に残れる。
取引なら、その客がいなくても会社が潰れない。
国なら、その市場への依存を減らせる。
つまり交渉力って、テーブルの上で突然発生するものじゃないのよ。
テーブルにつく前に、どれだけ逃げ道を作っておいたか。
そこでもう半分決まっているの。
だから「交渉術10選」を読みながら、他社の内定ゼロで年収交渉している場合じゃないのよ。
カードがないのにポーカーフェイスだけ練習しても、ただの無表情なの。
もちろん国同士の交渉は、転職の給与交渉ほど単純じゃない。
それでも共通していることがある。
Noと言える人のNoと、Noと言えない人のYesは、同じ重さじゃない。
今日わかったこと
- 8月21日夜に米加の通商交渉が決裂し、翌22日から50%の関税が発動された
- 対象は約200億ドル相当で、カナダの年間対米輸出のおよそ5%
- カナダは9月8日から鉄鋼や乳製品などを対象に報復関税を実施する
- 決裂前には、鉄鋼・アルミを50%から25%、自動車を25%から15%へ下げる案が議論されていた
- その後、米国側が土壇場で条件を変更し、カナダが交渉を打ち切った
- メキシコは、カナダとの交渉で一度見えていた着地点に近い待遇を求めている
- メキシコからの対象車には現在25%がかかり、日本などからの15%程度より不利な条件にある
- 交渉への姿勢を分けた背景には、条件そのものだけでなく、それぞれが守ろうとしているものの違いがある
似たような着地点を前にして、片方は席を立ち、片方はそこを目指して交渉を続けている。
違ったのは、数字だけじゃなかったのよ。
断ったあとに何が残るか。
そして、何を失うわけにはいかないのか。
これ、国と国の話しに聞こえるけれど、規模が違うだけで、あたしたちの毎日にもあることでしょう。
そして厄介なのは、断れる立場かどうかは、交渉が始まる前にほとんど決まっているということなの。
条件を良くする努力も大事よ。
でもその前に、断れる自分を作っておくほうが、たぶんずっと効くわ。
世界がどう動こうと、自分の足元だけは整える。それだけ。
The strongest bargaining chip is being able to leave the table.
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※本記事はブルームバーグ、ロイター、AP、カナダ首相府等の公開情報をもとに構成しています。


