20分で約1兆円が動いた|バイナンス史上最大のハッキング。「全額補償」の裏にある、暗号資産の怖い話し

夜明け前の薄暗い取引所のオフィスで、開いたままのレジの引き出しが空っぽになり、奥には分厚い扉を閉ざした頑丈な金庫が静かに立ち、机の上のノートパソコンの画面だけが青白く光っていて、窓の外には夜明け前の東京湾岸の街の灯りが見える映画的な絵画 市場

お店には、だいたいお金の置き場所が二つあるでしょ。ひとつはレジ。お客さんにおつりを渡すために、すぐ出し入れできる場所。もうひとつは奥の金庫。めったに開けないけれど、その分頑丈な場所。

もし泥棒に入られるなら、狙われるのはたいていレジのほう。だから、まともなお店はレジに大金を置かないの。

ところが10月30日の早朝、世界最大の暗号資産の取引所バイナンスで、インターネットにつながった財布、いわば「レジ」から、約1兆円分の暗号資産が持ち出された。

1兆円よ。コンビニのレジに1兆円入っていたら、店長より先に財務省が飛んでくるわ。

もちろん、普通のお店のレジと違って、複雑なセキュリティ対策は施されていた。それでも盗まれた。最新の技術で作った世界最大の取引所が、史上最大の暗号資産の盗難事件の舞台になったの。技術は未来へ進んだのに、やっていることは銀行強盗。しかも犯人は、覆面も逃走用の車もいらないのよ。

何が起きたの?

日本時間10月30日の午前5時5分ごろ、バイナンスから暗号資産が次々と引き出され始めた。

ブロックチェーンの調査会社TRMによると、流出したのは10種類のブロックチェーンにまたがる約63.6億ドル(約1兆円)。その大半が、約20分間に集中していた。いちばん多かったのはイーサリアムの上の約37.9億ドルで、ビットコインも1万8,270BTC(約14.7億ドル)が流出した。暗号資産の盗難としては過去最大よ。2025年2月に取引所バイビットで起きた約15億ドルの流出の、約4倍にあたるわ。

20分。お湯を沸かして、カップ麺を食べて、食後にスマホを眺めているくらいの時間よ。その間に、約1兆円規模の資産の大半が動いた。

しかも、犯人が画面の前で「送金」「送金」「送金」と一生懸命クリックしていたわけじゃない。TRMの分析では、事前に仕込んだ仕組みを使って、大量の資産を一気に移動させたとみられている。人間の手では追いつかない速さでお金が動く。これが金融の未来だと言うなら、未来はもう少し落ち着いてほしいわね。

バイナンスはすぐに出金を止めた。報道によると、ビットコインの値段は同じ日の朝に一時7万7,000ドルを割り込み、バイナンスが発行する暗号資産BNBは8%下がったわ。

どこから入られたの?

バイナンスの初期の調査では、入り口のひとつが、エンジニアのノートパソコンだった可能性があるという。そこから、ホットウォレットを動かす仕組みに入り込まれて、勝手に送金の指示を出されたというの。

ただし、その後の調査で、ほかにも入られた箇所が見つかった。つまり、パソコン1台がすべての原因だと決まったわけじゃないの。バイナンスは、お金を動かすための秘密の鍵そのものが盗まれた証拠はないとしているわ。

それにしても、恐ろしい話しよね。世界最大の取引所が、何重にも鍵をかけていたはずの財布から、20分ほどで約1兆円を持ち出された。金庫の扉は頑丈でした。でも、誰かが裏口から送金の指示を出せる状態になっていました。

セキュリティの世界では、金庫を何重にロックしても、送金ボタンを押せる人や仕組みを乗っ取られたら終わりなのよ。しかも今回は、その「誰が、どの扉から入ったのか」さえ、まだ全部わかっていない。

TRMによると、準備は盗みの36時間以上前から始まっていた。足がつきにくいように資金をまぜる「ミキサー」というサービスから少額を引き出して、実行用の財布を用意していたの。思いつきの犯行じゃなかったのね。

犯人は北朝鮮か

TRMと、同じく調査会社のチェイナリシスは、北朝鮮のハッカー集団「TraderTraitor」の犯行だと「高い確信」をもって分析している。準備の手口が、バイビットの事件などと何か所も一致しているそうよ。チェイナリシスは、9月に取引所ビットゲットから約3.9億ドルが盗まれた事件の資金が、今回の資金と同じ場所で混ざっていることも確認したとしている。

アメリカのトランプ大統領も、北朝鮮の犯行と考えるべきかと記者に聞かれて、「それを調べている」と答えたわ。ただし、アメリカ政府が北朝鮮の犯行と正式に断定したわけではないの。

しかも、北朝鮮のハッカーは、いつも難しいプログラムを力ずくで破っているわけじゃない。

日本にも、その例がある。2024年5月、日本の取引所DMMビットコインから、約482億円分のビットコインが盗まれた。警察庁などによると、犯人はこれも北朝鮮のTraderTraitor。その手口は、ビジネス向けのSNSで採用担当者になりすまして、暗号資産のソフトウェアを作る日本の会社の社員に接触し、採用試験を装った悪意あるプログラムを送りつけるというものだった。そこから会社の通信システムに入り込み、最後はDMMの社員になりすまして、ビットコインを盗み出したの。

「あなたの経歴に興味があります。ぜひ選考に進んでください」。こんなメッセージから、数百億円規模の事件につながった。転職市場にまで北朝鮮が営業活動をしているなんて、聞いてないわよ。しかも、向こうの採用活動は、内定を出すためじゃない。会社の財布を空にするためなの。

なぜ北朝鮮が暗号資産を狙うのか。国連の専門家パネルは2024年、北朝鮮の外貨収入の約半分がサイバー攻撃によるものだという推計を示し、そのお金が大量破壊兵器の開発に使われていると報告している。盗まれた暗号資産は、ただの泥棒のもうけじゃないかもしれないのよ。

さらに厄介なのが、AIの存在。AIは、だましに使う文章を自然にしたり、大量の情報を整理したりする作業にも悪用できる。昔なら、日本語のおかしな詐欺メールを見て「あら、外国からご苦労さま」と笑っていられたかもしれない。でも今は、AIが丁寧な敬語も、自然なビジネスメールも作ってくれる。

「平素より大変お世話になっております」。その丁寧な一文の向こうに、あなたの財布を狙う人がいるかもしれないの。なお、今回のバイナンスの事件でAIが使われたと確認されたわけではない。そこは分けて考えておきたいわね。

「全額補償します」は誰のお金で?

ここからが、あたしがいちばん言いたいこと。

バイナンスは「全額補償します」と宣言した。しかも、口だけではない。10月30日の第2報では、63.4億ドルを超える会社のお金を確保し、そのうち約50億ドル分は、流出したのと同じ種類の暗号資産でもう用意してあると説明しているわ。流出した額の約8割ね。残りは市場で買い集めているところよ。

さらに、ステーブルコイン(ドルと同じ価値になるように作られた暗号資産)を発行するテザーやサークルなどが、盗まれた資金の一部を凍結した。バイナンスによると、凍結できた額は約30億ドル。ただし、凍結はあくまで「動かせなくした」だけで、取り返したわけじゃない。攻撃者の手元には、まだ約24億ドル分が残っていて、TRMが追跡を続けているわ。

さすが世界最大の取引所。1兆円を盗まれても、財布を開けて「うちで払います」と言えるらしい。普通の会社なら、経理部長がその場で退職届を書き始めても不思議じゃない金額よ。

でも、あたしが気になるのは別のこと。補償してくれる会社が、補償できなくなったら、誰が補償してくれるの?

今回のバイナンスは、巨額の資金を用意できた。でも、世界中の取引所が同じことをできるとは限らない。「うちの会社は大丈夫です」。この言葉ほど、会社の業績が悪くなった瞬間に賞味期限が切れるものもないのよ。

安心してください。会社が責任を持ちます。その会社に何かあったときの話しを、あたしは聞いているんだけどね。

世界最大だからできることを、暗号資産の業界全体の安全と勘違いしてはいけないのよ。

日本のあたしたちへ

暗号資産には「預金保険」がない

銀行の預金と暗号資産。同じようにスマホに残高が表示されるけれど、守られ方はまったく違うのよ。

銀行の預金には、預金保険がある。銀行が破綻しても、1人・1金融機関あたり元本1,000万円とその利息までは守られる。でも、暗号資産には、その制度がない。

もちろん、日本の登録されている取引所には、お客さんの資産を会社の資産と分けて管理する義務や、万が一の流出に備えるためのルールがある。ただし、それは国が「何が起きても1,000万円まで払います」と約束しているのとは違うの。

銀行には預金保険。暗号資産には、取引所の管理体制と法律上の保全の仕組み。似たようなアプリの画面で残高が表示されていても、後ろで守ってくれる仕組みはまったく違う。画面の数字は同じ1,000万円でも、事故が起きたときの扱いまで同じとは限らない。スマホの画面は平等。でも、法律は平等じゃないの。

日本のバイナンスは、なぜ無事だった?

日本で営業しているバイナンス・ジャパンは、日本のお客さんの資産への被害は確認されていないと発表した。お客さんの資産は、今回被害にあった海外のホットウォレットとは別に、インターネットから切り離したコールドウォレット(さっきの例えで言えば奥の金庫)で管理していると説明しているわ。

同じ看板を掲げていても、財布まで一緒というわけではなかったのね。

日本の取引所には、法律で厳しいルールがある。お客さんの暗号資産は、原則としてコールドウォレットで管理しなければならない。ネットにつながったホットウォレットで預かる分については、それと同じ種類・同じ量の暗号資産を、取引所が自分のお金で持っておく義務がある。

日本の規制は面倒だ、厳しすぎる、海外に比べて遅れている。そんな声もあるけれど、こういう事件が起きると、普段は嫌われ者の規制が急に頼もしく見える。普段はうるさい親戚のおばさん。でも泥棒が来たとき、真っ先に玄関の鍵を確認してくれるのは、そのおばさんだったりするのよ。

もちろん、規制があるから絶対に安全という話しではない。DMMビットコインの事件が、それを証明しているわ。DMMビットコインはその後、取引所の仕事を終えることになり、お客さんの口座と預かり資産は2025年3月、SBIグループの取引所へ移された。お客さんの資産は引き継がれた。でも、取引所としてのDMMビットコインは幕を閉じた。盗まれたのはビットコイン。でも失われたのは、それだけじゃなかったのね。

それに、暗号資産の税金も変わろうとしている。暗号資産を金融商品取引法の対象にする改正法が、2026年7月に成立した。そして、今の最大55%の総合課税から、一定の取引については株と同じ約20%の申告分離課税へ、という見直しが進められているの。ただし、どんな暗号資産でも、どこで売買しても20%になるわけじゃない。対象となる取引や業者には条件があり、いつから適用されるかにも注意が必要よ。

同じビットコインなのに、どこで取引したかによって税金の扱いが変わる可能性がある。国境のない通貨を作ったはずなのに、最後は税務署の管轄で現実に引き戻される。自由って、案外お役所の営業時間内なのね。

自分の暗号資産を、自分で守る

最後に、今日からできること。

まず、なくなっても生活が困らない金額だけにすること。暗号資産は値段が大きく動くうえに、預金保険もない。生活費や、近いうちに使う予定のお金を入れる場所じゃないわ。

次に、取引所のアカウントを守ること。パスワードを使い回さない。二段階認証をかける。そして、DMMビットコインの事件が「採用担当者」からのメッセージで始まったことを思い出して。取引所を名乗るメール、うますぎる求人、「お得な投資」の誘い。リンクを開く前に、一度立ち止まること。

それから、大きな事件のあとは、「補償の手続きはこちら」「資産を移せば安全です」という偽のメッセージが増えやすい。手続きは、取引所の公式サイトやアプリから、自分で確かめるのがいちばん安全よ。

暗号資産の技術は、国境を越える。送金は速い。市場は24時間動く。銀行を通さなくても、世界中にお金を動かせる。でも、事故が起きたとき、誰が守ってくれるのか。その答えは、案外アナログなのよ。会社の資金力。法律。管理体制。そして、最後は自分の判断。

今日のまとめ

  • バイナンスから約63.6億ドル(約1兆円)が流出し、その大半が約20分に集中した。入り口はまだ全部わかっていない
  • 調査会社は北朝鮮のハッカーの犯行と分析。日本のDMMビットコインの事件は、偽の採用担当者からのメッセージが始まりだった
  • バイナンスは補償のための資金を用意した。でもそれは、世界最大の取引所だからできたこと。業界全体の安全とは別の話し
  • 暗号資産には預金保険がない。日本の登録取引所には保全のルールがあるけれど、国が一定額まで払うという約束とは違う
  • なくなっても困らない金額だけにする。アカウントを守る。うますぎる求人や、事件のあとの偽の案内には乗らない

金融の未来を語る前に、まず確認しておきたいことがある。その未来、壊れたときの保証書はついているの?

世界がどう動こうと、自分の足元だけは整える。それだけ。

Decentralized money. Centralized consequences.


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※この記事は、2026年10月31日時点の情報にもとづく。バイナンスは調査を続けていて、侵入の経路や被害の回復額は今後変わる可能性がある。 ※主な出典:TRM Labs(流出額、攻撃の手法、北朝鮮の関与の分析)、バイナンスの発表(10月30日の第2報、補償と追加の侵入箇所)、バイナンス・ジャパンの発表(国内のお客さんの資産)、警察庁(TraderTraitorとDMMビットコインの事件)、金融庁(暗号資産の分離課税の見直し)、CoinPost、CoinDesk、Cointelegraph、CNBC、NPR、WION(トランプ大統領の発言)、熊本日日新聞(金融商品取引法の改正法の成立)、国連の北朝鮮制裁委員会の専門家パネルの報告に関する報道(2024年)。 ※流出額(約63.6億ドル)は、TRMが引き出された時点の価格で評価したもの。円換算は1ドル=157円で計算した目安。 ※北朝鮮の犯行は民間の調査会社の分析で、2026年10月31日時点でアメリカ政府などが正式に断定したものではない。ビットゲットの事件との資金の混ざりは、チェイナリシスの分析による。 ※凍結額は、発表した会社や時点によって幅がある(TRMは約27億ドル、バイナンスは約30億ドル)。凍結は資金を動かせなくしたもので、回収とは違う。 ※ビットコインとBNBの値動きは、10月30日(日本時間)朝の報道による。 ※北朝鮮の外貨収入に占めるサイバー攻撃の割合は、国連の専門家パネルの推計。 ※暗号資産の分離課税の適用時期と対象は、今後の制度の整備によって決まる。 ※この記事は、特定の暗号資産や取引所の利用をすすめるものではありません。

この記事を書いた人

40代、元外資テック・米銀行、米国生活経験あり。
東京で愛犬と暮らす観察者。
「経済的自立」がモットー。

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