学校で「AならばBになる」と習ったのに、現実がBにならなかったこと、あるでしょう。教科書が間違っているのか、自分の計算が違うのか、しばらく分からないままになるやつ。
昨夜の為替市場が、まさにそれだったの。
まず、何が出たのか
13日に発表された7月のアメリカの生産者物価指数、いわゆるPPIね。企業が商品やサービスを売るときの値段を測る指標よ。
結果は前月比0%、つまり横ばい。市場予想は0.2%の上昇だったから、予想を下回ったわ。前年比は4.7%上昇で、6月の5.5%からかなり縮んだの。
中身を見ると、モノの値段が前月比0.7%下落、サービスは0.2%上昇。エネルギーと食品の下落が効いているわね。
昨日のCPIとは、性格がまったく違うのよ。CPIは4項目すべてが予想ぴったり。PPIは、予想より弱かった。
CPIはおとなしかった。PPIは、もっとおとなしかったの。
この2つを受けて、9月にFRBが利上げする確率は、前の週の55%程度から35%程度まで下がったわ。
教科書なら、こうなるはずだったの
ここで、経済の入門書に書いてある流れを確認しておくわね。
物価の伸びが落ち着く。だからFRBが利上げを急ぐ理由が薄れる。すると米金利が下がる。ドルで運用する魅力が落ちる。だから円高になる。
きれいな連鎖でしょう。矢印を4本つなげば終わりよ。
PPIが下がる。利上げ期待が下がる。米金利が下がる。円が上がる。
……はずでしょうよ。
ところが実際は、ドル円が159.48円付近まで円安に振れたのよ。誰が最後の矢印を159円に書き換えたのかしら。
あたしの頭の中の経済学の教科書、そっと閉じたわ。
株のほうは、教科書どおりだったわ
念のため、うまくいったほうも見ておきましょう。
株は素直に反応したの。S&P500種株価指数は0.65%上昇して7,798.99で終え、過去最高値を更新したわ。ナスダックは0.81%高、ダウは0.13%高。インフレ懸念の後退に加えて、AI関連株の強さも追い風になったのよ。
景気が強すぎれば「利上げが怖い」と売り、物価が弱ければ「利上げしなくていい」と買う。最近の米国株、だいたい何を出されても上がるのよね。
あたしも、このくらい都合よく人生を解釈して生きたいわ。
ここ、大事なところよ。「ドルが暴落した」わけじゃないの
さて、円が売られた理由を考える前に、ひとつ正確に押さえておきたいことがあるわ。
「利上げ観測が後退したんだから、ドルは全面的に弱くなったんでしょう」と思うでしょう。でも、そうでもないのよ。
この日のドル指数は、ほぼ横ばいだったの。ユーロに対してはドル安だったけれど、円に対してはドル高。要するに、まちまちだったのよ。
つまり、ドルがボロボロになった話しではないの。
ドルはまあ普通。円だけが弱い。
グループ課題で全員が70点くらいなのに、一人だけ追試になった感じね。
じゃあ、なぜ円だけが弱いの?
理由は、いまの円がアメリカ側の材料だけでは動かなくなっているから。
7月末からの協調的な円買い介入で、円は一時5%ほど上昇したわ。1998年以来という異例の日米協調だったし、実弾も相当撃ったはずよ。
でも市場が見ているのは、その先なの。
介入したのは分かった。アメリカも協力した。で、日銀は?
これが今の円をめぐる空気なのよ。圧がすごいわ。
市場が欲しいのは「お気持ち」ではないの。会見でもない。注視でもない。躊躇なく対応する姿勢でもない。
金利よ。
市場、とうとう察してちゃんを卒業したのね。
数字にも、それがはっきり出ているわ
面白いデータがあるの。市場が織り込む9月の日銀利上げ確率が、7月30日時点の24%から、いまや76%まで上がっているのよ。
つまり市場の中では、日銀はもうかなり利上げする気満々ということね。
問題は、日銀本人がその設定を知っているかどうかだけれど。
そして、日本側の物価が燃えているの
ここが今回いちばん怖いところ。
同じ13日に、日本の7月の企業物価指数も出ていたのよ。前年比7.2%の上昇。そして円ベースの輸入物価は、前年比29.1%の上昇だったの。
29.1%。
インフレというより、請求書を開いた瞬間に一度アプリを閉じる数字よね。
あたしの体重なら「誤差よ」で済ませるけれど、輸入物価では済まないわ。
そしてここから、嫌な循環が始まるの。
円が弱いから、輸入物価が上がる。輸入物価が上がるから、インフレ圧力が強まる。インフレが強まるから、日銀への利上げ圧力がかかる。でも日銀が動くまでのあいだ、円は売られ続ける。
完全に、自分で散らかした部屋で「誰がこんなに散らかしたの」と怒っている状態ね。
介入は、無意味だったわけじゃないのよ
ここは公平に書いておくわ。
介入は効いたの。実際、円は一時5%上昇した。40年ぶりの安値からは、しっかり戻したのよ。
でも、あれは円を救ったというより、時間を買ったというほうが近いわ。
そして時間って、買っただけでは増えないの。使わなければ、ただ期限がくるだけなのよ。
為替介入に、延長保証はついていないわ。
しかも本当に怖いのは、いくら使ったかじゃないの。市場が「どうせまた戻る」と学習してしまうことよ。
犬なら褒めたい学習能力だけれど、為替市場では全然かわいくないわね。
ちなみに、インフレが全部消えたわけでもないの
PPIの数字にも、ちゃんと但し書きがあるわ。
食品・エネルギー・貿易サービスを除いたPPIは、前月比0.4%の上昇だったの。つまり、変動の激しい部分を取り除くと、まだそれなりに上がっているということね。
エネルギーと食品が下がったから全体の数字が良く見えた、という側面は否定できないわ。戦争をきっかけに跳ね上がった値札が剥がれてきたのは事実だけれど、中東情勢は最近また緊迫しているの。
値札は剥がれてきた。でも、戦争そのものは終わっていないのよ。
次は何を見ればいいの?
日程を3つ押さえておいて。
8月26日に7月分のPCE価格指数。FRBが物価目標を測るときに、いちばん重視している指標よ。PPIの一部の項目は、ここに反映されるの。
9月4日に8月分の雇用統計。そして9月15〜16日にFOMC本番ね。
日銀の会合も9月よ。市場が76%の確率で織り込んでいる、その答え合わせの日でもあるわ。
あたしたちの生活には、どう影響するの?
「アメリカの卸売物価でしょ」で終わらせるにはもったいないから、押さえておくことは3つ。
① 輸入物価29.1%が、いちばん切実な数字よ
アメリカの物価が落ち着いても、日本に入ってくるモノの値段は、円ベースで前年より29.1%も高いの。
原油が下がっても、小麦が下がっても、円が安ければ支払う金額は減らないのよ。原油はドルで買うんだから。せっかくの値下がりを、為替が横から食べていく構図ね。
だから「アメリカのインフレが鈍化した」というニュースを見ても、来月のスーパーが安くなるとは限らないの。むしろ日本の物価は、これから上がる材料のほうを抱えているわ。
② 株の最高値は、円で見ると意味が変わるの
新NISAでS&P500やオルカン系を持っている人は、評価額がまた増えているはずよ。株価が最高値で、しかも円安なんだから、円換算では二重に増えて見えるわ。
素直に喜んでいいの。ただし、増えた理由の内訳は見ておいて。株が上がったのか、円が下がったのか。次に円高へ振れたとき、慌てなくて済むから。
③ 9月が、いろんな意味で節目になるわ
日銀の会合、FOMC、雇用統計。全部9月に集まっているの。
市場は日銀の利上げを76%織り込んでいる。もし動かなければ、失望から円安が進む可能性があるし、動けば動いたで、住宅ローンの変動金利や預金金利の話しが一気に現実味を帯びてくるわ。
住宅ローンを変動で組んでいる人は、この夏のうちに「金利が上がったら毎月いくら増えるのか」を計算しておくといいと思うの。慌てて計算するより、涼しい顔で知っている方が強いから。
今日わかったこと
- 7月の米PPIは前月比0%、前年比4.7%で、いずれも市場予想を下回った
- CPIとあわせて、9月のFRB利上げ確率は前週の55%程度から35%程度へ低下した
- S&P500種は0.65%高の7,798.99で過去最高値を更新した
- ドル指数はほぼ横ばいで、ドル全面安ではなく、円だけが売られた
- 市場が織り込む9月の日銀利上げ確率は、7月30日の24%から76%へ急上昇している
- 日本の7月企業物価は前年比7.2%、円ベースの輸入物価は同29.1%の上昇
- 変動の大きい項目を除いたPPIは0.4%上昇で、インフレ圧力が消えたわけではない
アメリカからは、円高に効くはずの材料が届いた。介入もした。市場も日銀の利上げを期待している。
それでも159円なのよ。
アメリカからは、円高に効くはずの材料が届いた。介入もした。市場も日銀の利上げを期待している。
それでも159円なのよ。
ここまでお膳立てしてもらって動かないなら、もう主役が舞台に出てくるしかないわね。アメリカは、時間を買ってくれた。その時間をどう使うかは、もう東京の話しなの。
世界がどう動こうと、自分の足元だけは整える。それだけ。
Washington bought the time. Tokyo has to use it.
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※本記事はブルームバーグ、ロイター、米労働省労働統計局、日本銀行等の公開情報をもとに構成しています。


