子どものころ、伝言ゲームってやったでしょ。
最初の人が「明日は雨だから傘を持ってきてね」とささやく。5人目には「大型台風が直撃」、10人目には「政府が外出禁止令を検討」、そして最後の人は、なぜか通販で非常食セットを売っている。
誰も最初から大きな嘘をついたわけじゃない。ただ、話しが人から人へ渡るたびに、ちょっとずつ味付けされるのよ。
昔の伝言ゲームは、最後にみんなで笑って終わった。いまは違う。最後に誰かがお金を払う。しかも、その話しを広めた人は「自分は注意喚起しただけです」と言うの。便利な時代になったわね。責任だけは、いつまでたってもアナログなのよ。
いま、ネットで回っているのはこんな話し。「防災庁ができて、国民に備蓄しろと言っている」「アメリカは90日分の備蓄を呼びかけた」「世界中で緊急要請が出ている」「イスラエルの選挙、アメリカの中間選挙。これは戦争の前ぶれじゃないの?」「世界的なブラックアウトがくる」「海底ケーブルが切られる」。
ひとつひとつ聞くと、なんだか本当っぽい。でも、ちょっと待って。今日は伝言ゲームを最初の人までさかのぼって、どこまでが本当で、どこからが味付けなのかを確かめるわよ。
点①:防災庁の「緊急要請」は、出される予定
11月2日に、防災庁が発足する。これは政府の正式な決定よ。細野豪志防災相は10月28日、発足の日に「緊急要請」を出し、国民に水、食料、携帯トイレを「最低3日、できれば1週間」分備えるよう呼びかける方針を説明したわ。想定しているのは、南海トラフ地震、首都直下地震、日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震、富士山の噴火などよ。
問題は「緊急要請」という言葉。この4文字、なかなか刺激的よね。まるで政府だけが何か重大な秘密を知っていて、国民には言えない事情があるみたい。
でも、発表されている中身は、水、食料、携帯トイレの備蓄。そして要請の相手は、国民だけじゃない。各省庁と、すべての都道府県にも、防災の体制を整えるよう求めるの。大臣は、自治体によって防災の体制に差があることを問題にしているわ。
国民には「水を備えてください」。自治体には「あなたたちも、いい加減ちゃんと備えてください」。どうやら、緊急なのは戦争じゃなくて、行政の準備状況のほうなのよ。
じゃあ、「公助をあてにするな」と言われたの? そういう発言は見つからなかった。報道で伝えられているのは、国や自治体の支援がすべての家庭に届くまでには時間がかかる、という趣旨。大臣が最優先に挙げているのは、むしろ避難所の改善なの。トイレ、温かい食事、ベッド、お風呂を、官民で充実させたいと話していると伝えられているわ。
「公助ができないのは、国が国防にお金を回すからでは?」という声もある。でも、防災庁の話しに、有事や国防への言及はない。防災庁は、阪神・淡路、東日本、熊本、能登の地震で、省庁をまたぐ対応が遅れたという反省から、何年も前から準備されてきたものよ。
点②:アメリカの「90日」は、米軍基地の話し
伝言ゲームがいちばん大きくずれたのが、ここ。
「アメリカが90日分の備蓄を呼びかけた!」。ちょっと待って。誰に? 答えは、一般家庭じゃなくて米軍基地。
アメリカ国防総省には、FORTRESSという構想がある。Fox Newsは10月25日、内部の計画文書をもとに、国内の主な米軍基地が外からの支援なしで90日間活動できるようにする基準を検討していると報じたわ。電気、水、燃料、通信。これらが止まっても、軍が機能し続けられるようにするという話しね。90日という数字は、この報道にもとづくもので、まだ検討段階とされているの。
それがネットを一周すると、なぜか一般家庭の台所に着地する。米軍基地の90日が、いつの間にか日本の家庭の90日。ペンタゴンの備蓄基準が我が家のパントリーに適用されるなんて、ずいぶん大胆な人事異動じゃない。
そこへ、元FBI副長官のダン・ボンジーノ氏が、自分のポッドキャストでアメリカ人に備蓄を呼びかけた。でも、本人が勧めたのは「最低3日分」の食料と電源。90日じゃないのよ。軍の基地の話しと、個人の3日分の呼びかけ。この二つが混ざって、「アメリカ政府が国民に90日分の備蓄を指示」という話しができあがったのね。
もちろん、軍が大規模な紛争を想定して備えること自体は事実。でも、それは「戦争が始まる」という予告ではない。軍隊が最悪の事態を想定しなくなったら、それこそニュースだわ。
点③:「世界中で緊急要請」は半分本当
イギリス政府も10月22日、「Be Ready(備えよう)」というキャンペーンを始めた。家庭に、3日間の混乱に備えるよう呼びかけているわ。リストには、1人1日3リットルの飲み水、保存のきく食べ物、懐中電灯、電池式や手回し式のラジオ、モバイルバッテリー。そして現金。
現金よ、現金。キャッシュレス先進国を目指していたはずなのに、最後に頼るのは紙のお金。なんとも皮肉な話しね。
でも、これにはちゃんと理由がある。停電や通信障害が起きれば、スマホ決済もカードもATMも使えなくなるかもしれないから。英国政府が想定しているのは、悪天候やサイバー攻撃などで、日常生活が突然止まる事態よ。
しかも、このキャンペーンは3年間かけて進める計画の第1段階。「3年間かけて備えましょう」という政府の話しが、ネットに流れると「来週、世界が終わります」になる。時間の圧縮技術だけは、AIを超えているわね。
EUも2025年から、市民に72時間分の備えを勧めている。だから「世界のあちこちで、備えの呼びかけが出ている」のは本当。でも、各国が申し合わせて一斉に出したわけじゃないし、家庭向けの日数は3日から1週間。国民に90日を求めている国は、見つからなかった。
点④:選挙の日程は前から決まっていた
イスラエルの総選挙は10月27日。アメリカの中間選挙は11月3日。たしかに近い。カレンダーに赤丸をつけて並べれば、なんだか意味深に見えるわね。
でも、イスラエルの10月27日は、前回2022年の選挙のあとすぐに決まっていた、もともとの予定日。国会が任期いっぱいまで務めたのは1988年以来だと報じられている。つまり、約40年ぶりに予定どおりの選挙が行われたの。投票の結果、出口調査ではどの陣営も過半数を取れず、いまは正式な結果と、連立づくりの話し合いを待つ段階よ。
アメリカの中間選挙だって、今年になって突然決まったものじゃない。それを「日程が近い。つまり戦争が始まる」と結びつけるのは、少々飛躍が激しい。
選挙によって外交や安全保障の政策が変わる可能性は、もちろんある。でも、選挙の日が近いこと自体は、戦争の予告じゃないのよ。
点⑤:本当に起きているのは、サイバー攻撃
ここからは、笑ってばかりもいられない話し。
韓国では、金融機関へのハッキングが相次いでいる。韓国の金融当局が10月14日に発表した時点で、被害は16社、流出した個人情報は約10万件。名前、電話番号、年収、ローンの上限額などが盗まれたと報じられているわ。その後も、証券会社などで新たな被害が報じられている。
しかも、AIを使った攻撃が疑われているの。攻撃側の設備からは、AIで侵入を自動化する道具の痕跡が見つかった。どこまでAIが使われたのかは、当局が調べているところよ。
昔のハッカーは、画面に向かって何時間もコードを打つ、映画の中の怪しい天才というイメージだった。いまは、その面倒な作業の一部をAIに任せられる時代。こちらがAIに「今夜の献立を考えて」と頼んでいる間に、向こうはAIに「侵入できるシステムを探して」と頼んでいるかもしれない。同じ技術なのに、使い道の落差がひどい。
ただし、今回確認されたのは、主に不正なアクセスと情報の流出。銀行のカードや決済サービスが大規模に止まったと確認されたわけではないの。それでも、攻撃の自動化が進めば、金融サービスが妨害されるリスクを軽く見ることはできない。
先日の記事で書いたPHPの脆弱性の話しを覚えてる? AIが、20年以上前からあった弱点を見つけた話し。見つける側がAIを使えるなら、攻める側も使える。
海底ケーブルも、本当に切れたことがある。2024年から2025年にかけて、バルト海や紅海でケーブルの切断が実際に起きた。でも、「世界中のケーブルが同時に切られる」という計画を示す情報は見つからなかった。「世界的なブラックアウト」についても、今回確認した公的な資料には、そのような具体的な予告は見当たらなかったわ。
世界同時ブラックアウトという噂を信じなくても、現実のサイバーリスクだけで、備える理由は十分なのよ。
線は、どこで引かれたのか
ここまでの点を並べてみましょう。
日本は備蓄を呼びかける。アメリカは軍の基地の自立性を高めようとしている。イギリスも家庭に備えを勧めた。イスラエルとアメリカでは選挙がある。韓国では金融機関がサイバー攻撃を受けた。全部、現実に起きている話し。
でも、ここから「だから11月に世界大戦が始まる」と結論づけるには、肝心の証拠が足りない。
点が5つあれば、星形も描けるし、家も描ける。なんならネズミのキャラクターだって描けるかもしれない。問題は、点じゃない。誰が、何を根拠に、その線を引いたのか。
ネットの陰謀論が厄介なのは、全部がうそとは限らないことなのよ。むしろ、実際のニュースを材料にしているから説得力が生まれる。材料は本物。でも完成した料理は、シェフの妄想。しかも、そのシェフが「政府が隠している真実」と書いた看板を掲げているんだから、なかなか商売上手だわ。
日本のあたしたちへ
備蓄は予言じゃなくて保険
噂の線を切っても、備えが要らなくなるわけじゃないわ。むしろ逆。
日本は地震の国で、防災庁が想定している巨大地震は、どれもいつ起きてもおかしくないと言われているもの。備蓄は「何かが起きると予言する」ためじゃなくて、「何かが起きたときに、自分と家族が数日を乗り切る」ための保険よ。火災保険に入るとき、家が燃えると予言しているわけじゃないでしょ。
目安は、防災庁の要請どおり、最低3日、できれば1週間。飲み水は1人1日3リットル。2人暮らしで1週間なら42リットル。2リットルのペットボトル21本ね。これは飲む分だけだから、料理や体を拭く分は別に考えておきたいわ。
それから、忘れちゃいけないのがトイレ。水や電気が止まると、マンションでは水を流せなくなることもあるの。携帯トイレは、1人1日5回分が一般的な目安。2人で1週間なら70回分よ。水は我慢できても、トイレはそうはいかない。人間、どれだけ文明が進んでも、膀胱だけはデジタル化できないのよ。
備蓄は、一度に買い込む必要なんてない。いつもの食品を少し多めに買い、使った分を補充する「ローリングストック」で十分。非常食を大量に買い込んで、3年後に賞味期限切れの段ボールを発掘する。それは防災じゃなくて、未来の自分への嫌がらせよ。
「止まる日」に効くのは、現金と電池
今回、あたしがいちばん大事だと思ったのは、イギリスのリストに「現金」が入っていたこと。
キャッシュレスは便利よ。でも、停電や通信障害、サイバー攻撃で、カードもスマホ決済もATMも使えなくなる日がくるかもしれない。だから、家に少しだけ現金を置いておくこと。お店がおつりを出せないこともあるから、千円札と小銭を中心に。
それから、スマホを充電できるモバイルバッテリーと、電池。そして、家族や大事な人の電話番号を、紙に書いておくこと。スマホが止まったら、自分の家族の番号すら思い出せない人、多いんじゃない?
お金の置き場所も、ひとつに集中させすぎないほうがいい。銀行口座、カード、決済アプリ。どれかひとつが止まっても、ほかで数日しのげるようにしておくと安心よ。
不安を売る人から、お財布を守る
最後に、あたしがいちばん警戒しているもの。戦争の噂でも、ブラックアウトの予言でもない。「あなたを守りたい」と言いながら、あなたのお財布を狙っている人たちよ。
「政府は隠している」「11月までに備えないと手遅れ」「この動画は消されるかもしれません」。そして動画の説明欄には、しっかり商品の購入リンク。政府の陰謀は信じるなと言いながら、自分の紹介リンクだけは信じてほしいらしい。なんとも都合のいい情報リテラシーだわ。
もちろん、防災用品を紹介すること自体は悪くない。でも、恐怖をあおって判断力を奪い、買い物を急がせるなら話しは別。災害や有事の噂が広がるときは、公的機関を名乗る詐欺のメールやメッセージにも気をつけて。
見分け方はシンプル。「いますぐ」「急いで」とせかす話しは、一度立ち止まる。「政府が」「専門家が」と書いてあったら、その政府や専門家の元の発表を探す。見つからなければ、伝言ゲームの何人目かの話しだと思っていい。
本当に必要な備えは、明日買っても役に立つ。「今夜買わなければ世界が終わる」と言う人がいたら、まず疑うべきは世界の終わりじゃなくて、その人の販売ノルマよ。
今日のまとめ
- 日本の防災庁は、11月2日に備蓄を呼びかける予定。目的は災害への備えで、戦争の予告ではない
- アメリカの90日として報じられたのは、米軍基地の自立運用の基準。国民への90日分の備蓄の指示ではない
- イギリスやEUは、家庭に3日分の備えを勧めている。各国が一斉に戦争を予告した証拠はない
- 韓国の金融機関への侵入と情報流出は現実。AIの悪用は、警戒すべき本物のリスク
- 日本の家庭に必要なのは、恐怖ではなく具体的な準備。水、食料、携帯トイレ、現金、電池
戦争が起きるかどうかを予言するより、停電したときに懐中電灯がどこにあるか知っているほうが、よっぽど役に立つわ。
世界がどう動こうと、自分の足元だけは整える。それだけ。
Stock your shelves, not your fears.
📖 関連記事 →
- PHPに20年以上前からの重大な脆弱性|AIが発見、政府サイトも停止。日本の個人情報流出も止まらない
- AIがまた檻を破った。今度はGemini|本当に怖いのは「事実のほうがデマに見える」こと
- スターリンク復旧、でも「誰が止めたか」はまだ闇の中|マスクと米政府が押し付け合う命綱のスイッチ
- 日本のエネルギー自給率15.3%って、結局どうヤバいの?|G7最下位の意味
※出典:内閣府、復興庁の発表と、日本経済新聞、FNNプライムオンラインなどの報道(防災庁の発足と緊急要請)、Fox News、フォーチュン(米国防総省のFORTRESS構想と90日の基準)、UNILAD、Mediaite(ボンジーノ氏の発言)、英国政府「Be Ready」(備えの呼びかけ)、CNN、NBCニュース、AP通信、イスラエル・ハヨム(イスラエル総選挙)、聯合ニュース、FinTech Journalなど(韓国の金融機関への攻撃)、Bulletin of the Atomic Scientists(海底ケーブル)。 ※防災庁の緊急要請は、2026年10月29日時点では発足日(11月2日)に出される予定のもの。正式な文面は発足後に公表される。 ※米国防総省の90日の基準は、Fox Newsが内部の計画文書をもとに報じたもので、2026年10月29日時点では検討段階とされている。 ※イスラエル総選挙は、2026年10月29日時点では正式な結果の公表と連立交渉を待つ段階。 ※韓国の金融機関の被害(16社、約10万件)は、韓国の金融当局が10月14日に発表した時点の数字。その後も新たな被害が報じられている。攻撃にAIがどこまで使われたかは、当局が調べているとされる。 ※飲み水の目安(1人1日3リットル)は英国政府のチェックリストにもある飲用の目安で、調理や衛生に使う水は別に必要。携帯トイレの目安(1人1日5回)は、一般的な防災の目安。 ※「世界的なブラックアウト」については、今回確認した公的な資料の範囲で、具体的な予告が見当たらなかったという意味。

