夜中の「プーン」。あれ、人類共通の敵よね。
電気をつけると、いない。消すと、またくる。あの、人を小馬鹿にした飛び方。壁を睨んで、手を構えて、無音で忍び寄って——空振り。次の朝、腕にぷっくり痒いのを見つけて、ようやく「昨日のあいつか」と悟る。一匹の蚊に、あたしたちはどれだけの夜と、どれだけの平常心を奪われてきたことか。
たった一匹よ。それを仕留めるのに、あたしたちは毎回、全知能と全体力を注いでる。
そんなあたしたちの労苦をよそに、こんなニュースがあったの。「Googleが、何千万匹もの蚊を放とうとしている」。……こっちは一匹に苦戦してるのに、あっちは何千万匹?と思って調べたら、これがなかなか、考えさせられる話しだったのよ。
今日はその話しをするわね。
Google系の会社は「蚊で蚊を潰す」を、本気でやっている
Googleの親会社(アルファベット)の生命科学部門「Verily(ヴェリリー)」が、「Debug(デバッグ)」っていうプロジェクトをやってるの。デバッグって、本来はプログラムの”バグ(虫)取り”のことよ。IT企業らしいネーミングで、文字どおり現実の”虫”を取ろうとしてるわけ。
仕組みが、なかなか賢いの。まず、オスの蚊だけを大量に育てる。オスの蚊は、そもそも人を刺さないの(血を吸うのはメスだけ)。そのオスに、「ウォルバキア」っていう細菌を持たせる。この細菌を持ったオスが、野生のメスと交尾すると——生まれた卵が、孵らないの。つまり、次の世代が生まれない。これを繰り返すと、蚊の数が、根っこからじわじわ減っていく。
ウォルバキアって聞くと身構えるかもしれないけど、世界の昆虫のおよそ6割が、もともと持ってるとされる、ごくありふれた細菌なの。人やペットを病気にするものでもない。そして、この方法で使う蚊は、遺伝子組み換えでもないの。あたしたちが「今、目の前にいる一匹」を必死に叩くんじゃなくて、「そもそも蚊が生まれてこない状態」を作りにいってる。
同じ蚊退治でも、発想が真逆でしょ。
しかも、規模がおかしいの。VerilyがEPA(アメリカの環境保護庁=環境まわりの規制をする役所)に申請してる計画では、カリフォルニアとフロリダで、1つの州あたり年間最大1,600万匹。それを2つの州で、2年間。合計、最大6,400万匹よ。
6,400万。あたしたち、一匹に半日かかるんですけど。Google、桁で殴ってくるのやめてもらえる?
ここが今日の芯:「潰す人」と「仕組みを変える人」
さあ、ここであたし、ハッと気づいたの。これ、蚊だけの話しじゃないって。
あたしたちがやってるのは、「潰す」。目の前の一匹を、体力と時間を総動員して、なんとか仕留める。でも、明日また一匹来たら?また同じ戦いよ。
この戦い方には、”終わり”がないの。倒しても倒しても、また湧いてくる。永遠のモグラ叩き。
Verilyがやろうとしてるのは、「仕組みを変える」。一匹ずつ潰すことを、そもそも諦めてる。代わりに、蚊が増える”仕組み”そのものに手を突っ込んで、湧いてくる量を根っこから減らそうとしてる。もちろん、最初にオス蚊を大量に育てる手間もお金もかかるし、放出も一度きりじゃなくて繰り返す必要がある。それでも、一匹ずつ追いかけて殺すんじゃなくて、繁殖率そのものを下げる仕組みに、資源を注いでるの。
あたしたちは、末端処理。あっちは、上流工程。あたしたちがクレーム対応に追われるカスタマーサポートなら、あっちは、そもそもクレームが出ないようにプロダクトの仕様を変えにいってる。同じ問題に向き合ってるのに、立つ場所が違うのよ。
これ、お金の話しと、まったく同じ構造なの。
たとえば家計。毎月「あ、今月ちょっと使いすぎた」って、目についた出費を必死に削る。これが「潰す」やり方。大事なんだけど、来月もまた同じ戦いが待ってる。一方で、「そもそも毎月かかってる固定費(スマホ代、サブスク、保険)を、一度見直す」。これが「仕組みを変える」やり方。最初にちょっと面倒な手続きをすれば、あとは毎月、自動でお金が浮く。
仕事でもそう。目の前の作業を一個ずつ気合で片付ける人と、「この作業、そもそも自動化できない?」と仕組みを疑う人。短期的には前者が速く見えるけど、1年経つと、差は歴然よ。目の前の一匹に本気になるのは、尊い。尊いけど、経済的には「その場しのぎ」なの。
回りくどく見える「仕組みへの投資」のほうが、長い目で見ると、圧倒的に効く。……悔しいけどね。
でも、その「賢い解決策」が、嫌われている
ところがね。ここからが、もう一段面白いの。
この仕組み、実は成果がちゃんと出てるの。ここで一つ断っておくと、今回VerilyがEPAに申請してる蚊と、これから話す過去の実験の蚊は、種類が違うの。今回の申請は「ネッタイイエカ」、過去のフレズノやシンガポールの実験は「ネッタイシマカ」。ただし、「ウォルバキアを持つオスを放して、次の世代を作れなくする」という基本戦略は、同じよ。
その過去の実験の数字がすごいの。2018年、カリフォルニアのフレズノでやった実験では、放出した地域で、人を刺すメスのネッタイシマカが、比較地域より95%以上も少なくなった。さらに、約72万人を対象にしたシンガポールの大規模試験では、この方法でデング熱(蚊が媒介する怖い病気)にかかるリスクが、71〜72%も下がったの。これ、権威ある医学誌にちゃんと載ってる、堅いデータよ。
……ちなみに95%って聞くと「すごい」と思うけど、あたしたちの寝室で95%減されても困るのよね。一匹しかいなかったら、100%やっつけないと、その夜は終わらないんだから。規模の話しと、あたしたちの安眠の話しは、別なのよ。
さて。これだけ効果が出てるのに、SNSでこの話しが広がったとき、どうなったと思う?いつの間にか、「Googleが遺伝子組み換え蚊を大量放出する」みたいな話しにまで、進化しちゃったの。
蚊より、情報のほうが繁殖が速いのよ。
あまりに広がったからか、EPAはわざわざ「ファクトチェック」を出して、「遺伝子組み換え蚊の放出を承認した、という主張は誤りだ」と否定する事態にまでなったの。Verilyは、まだ許可を申請してる段階。蚊はまだ、一匹も飛んでない。デマだけが、先に飛んだってわけ。
ここに、あたしたちの、とても人間くさいクセが出てるの。人って、データより、感情で動く生き物なのよね。「95%減った」という確かな数字より、「細菌を持った蚊」という字面の「なんか怖い」のほうが、心をつかんじゃう。
これ、蚊に限らないの。投資でもそう。「長期・分散・積立は、短期の値動きに振り回されにくい王道の一つ」ってデータは山ほどあるのに、目先の暴落ニュースの恐怖に負けて、いちばん底で売っちゃう人がいる。暴落すると、「あたし長期投資だから」って言ってた人が、48時間後には「全部売りました」になってたりするの。長期、二日。「なんか怖い」で動くと、たいてい損をするのよ。
日本のあたしたちへ
さて、日本のあたしたち。「これアメリカとシンガポールの話しでしょ、日本は関係ないわ」——と思うでしょ。半分そう。でも、教訓は、あなたの財布と暮らしに、まっすぐ効くの。
ひとつめ。「潰す」より「仕組みを変える」を、意識してみて。あたしたちの毎日は、目の前の一匹を叩く戦いで、けっこう埋まってるの。今月の節約、今日のタスク、目についた無駄。それも大事。でも、たまには手を止めて、「そもそも、これが湧いてくる仕組みは何?」って、根っこを見てほしいの。固定費、非効率な習慣、なんとなく続けてる契約。そこに一度手を入れれば、毎日の激闘を、少しだけ減らせる。全部は無理でも、末端処理の回数は、確実に減るのよ。
ふたつめ。「なんか怖い」で判断しないこと。世の中には、データはちゃんと出てるのに、感情で嫌われてるものが、たくさんあるの。逆に、データは怪しいのに、雰囲気で人気なものもある。大事なのは、「怖い/安心」という感覚と、「実際どうなのか」という事実を、いったん分けて考えること。感情はハンドルじゃなくて、助手席に座らせておくくらいが、ちょうどいいの。
今夜も、どこかの部屋で、誰かが蚊と戦ってるはずよ。一匹に本気になるのもいい。でも、ちょっとだけ「仕組み」に思いを馳せてみて。あたしたちが半日かけて一匹を追う横で、世界は、蚊が生まれてくる仕組みのほうを、書き換えようとしてるんだから。
今日のまとめ
- Googleの親会社アルファベット傘下Verilyが「Debug」で、蚊の数を減らす仕組みに挑戦中。オス蚊に細菌ウォルバキアを持たせて放ち、卵が孵らないようにする。オスは人を刺さず、ウォルバキアは昆虫の約6割が持つありふれた細菌で、この蚊は遺伝子組み換えでもない
- カリフォルニア・フロリダで2年・最大6,400万匹(1州あたり年1,600万匹)を放つ許可をEPAに申請中。パブリックコメントは6月に締切、EPAはまだ承認も却下もしておらず審査中
- 発想の核は「一匹ずつ潰す」ではなく「湧いてくる仕組みを断つ」。これは家計の固定費見直しや仕事の自動化と同じ”上流工程への投資”。ただし放出は繰り返す必要があり、一度で永久に効くわけではない
- 成果は堅い。過去のフレズノ実験(ネッタイシマカ)で人を刺すメスが95%超減、シンガポールの試験ではデング熱リスクが71〜72%減。ただし今回の申請はネッタイイエカで、種類は異なる
- なのにSNSでは「遺伝子組み換え蚊の大量放出」というデマにまで発展し、EPAがファクトチェックで否定する事態に。まだ蚊は飛んでいないのにデマだけ先に飛んだ。人はデータより感情で動きがちで、それは投資判断を歪めるのと同じクセ
世界がどう動こうと、自分の足元だけは整える。それだけ。
We spend half a day chasing one mosquito. Google is trying to make the next one never exist. Same goal. Slightly different budget.
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※本記事はブルームバーグ、Nature Biotechnology、New England Journal of Medicine、Snopes、EPA(米環境保護庁)の公開情報をもとに構成しています。数値・許可状況は執筆時点のものです。


